あいにくの雨ですが、新入りが搬入されています。
欧州から、はるばる船で運ばれてきました。
ドイツ製を扱うのは初めて…じゃないんだな。
10数年前まで、ギルデマイスター(シュッテだったか)の6軸自動旋盤が、工場では動いていました。
その機械の中を覗けば、恐ろしいほど重厚で精密に稼働する歯車やシャフト類に、ドイツ製のすごさを感じたことを思い出します。
「いよいよ処分」という時、皆で機械を解体しました。
日本製のそれと比べて、重厚な作りのため、解体に3倍以上の時間がかかったことを思い出しました。
今回はマシニングセンタ。
SIEMENSの取り扱いは初めてですが、それも楽しみ。
長いお付き合いができるといいです。
このブログを始めて、今月で10年が経ちました。
いつかこんな時が来るんだろうなぁ、と思っていましたが…
本当にこの日が来て、驚きというか、あっという間、というか。
2006年6月。
その当時は、工場に新しく導入した設備の紹介等を目的としてはじめました。
そのうち中心になって来たのは、品質管理、人材育成などの紹介等。
と、言いつつ、半分は私の「独り言」みたいな…。
毎年なんだかんだ設備・検査機器が更新されているけど、
最新機の5軸機ばかりが揃ってきたか、というとそうでもなく、中古のNC旋盤を活用した方が投資効果は圧倒的に高かったり。
外でもいろんなこと、ありました。
リーマンショック、震災、工場の移転…
特に震災の時は、感じることが多かった。
思いやり、助け合い、深い悲しみ、感謝、安心、ふつうの生活…。
日本人の良い部分が表に出て、それを感じられる機会が多かったと思いました。
もちろん、会社を辞めていった人がいる。
その中で、やっぱり一番辛いのは、残念ながらハッピーエンドで終われなかった人が、若干名いたこと。
何よりこれが辛い。
でもその分、新しい出会いもありました。
お客さんついては、ネットを通じて新しい方とのお付き合いが増えた一方、
協力業者さんの方は、やっぱり昔からの変わらないお付き合いが結局は多かったり。
20代で入社してきたヤツらも、もう30後半のイッパシ大人。
彼女ができて、結婚して、子供ができて、家を建てて、二人・三人目の子供ができたり。
そもそも私自身、中年も更に後半の方に差し掛かり、そういう話の嬉しさが身に染みるようにな年になりました。
いやー、なんというか、10年だなぁ…。
そんな今の気分です。
とんがった芸がないので、こういうこと地味に続けると、そのうちイイことあると思って、これからもマッタリ続けていくつもりです。
なので、従業員各位、ネタ募集中。
今後ともよろしくお願いします。
熊本では、今もなお多くの方々が避難生活を強いられている。
そんな昨今、高速道路を走っていると、「災害派遣」の幕を帯びた自衛隊の車とすれ違う。
先日、その自衛隊の車を追い越そうとしたら、
『松戸』って書いてあった!
会社の近所には、航空自衛隊の駐屯地がある。
そこから来てるんだぁ。
がんばれ~ 応援してます!
そんな気持ちで、届かないエールを送った。
さて、その幕に書かれた「需品教導隊」なる部隊。
恥ずかしながら、何も知らなかったので、ネットで調べて見た。
【需品】⇒各種後方支援活動を任務としている。災害派遣では給食・入浴支援などで活躍。
【教導】⇒陸上自衛隊の職種学校における教育支援を任務とする部隊
(By Wiki)
後方支援の教育を行う部隊という事でしょうか。
後方支援と言えば「補給」と言う言葉を思い浮かべる。
インパールやガダルカナルでの悲惨な結末は、お粗末な補給計画も一つの要因と言える。
1日1食でも食事ができるのと、1週間も飲まず食わずでは、戦闘能力も数倍違うだろう。
その意味では、戦術的に大変大きな役割を持った部隊だと思う。
食糧供給だけでなく、調べてみると面白いもので、『野外選択セット』などの変わった設備を保有している。
まぁ、洗濯機をくくりつけてあるだけ、と言えばそれまでだが…。
この部隊に所属すると、家事が上手になるらしい。
今回も、食事や、風呂などの支援に行かれるのでしょう。
ご存知の方も多いと思いますが、自衛隊は災害現場で炊き出しを行いますが、それを食べません。
彼らは、炊き出しを片付けた後、冷えたレトルト食品や缶詰などを、車の中で食べます。
差し入れを受け取ることはできず、風呂にもほとんど入らないそうです。
自衛隊については、政治的にいろいろ言われているのが最近の実情です。
しかし、彼らはただ「日本を守りたい、助けたい」という思いを行動に表しているだけだし、
間違いなく、被災地の方々は助かっているはず。
そんな彼らに、私は純粋に感謝の気持ちを抱きます。
木山製作所のスタッフブログです
モノ作り集団「K製作所」の活動も随時更新中!
デザフェス等イベント出展情報もこちら