今年の前半、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んだ。
戊辰戦争後から西南の役まで、10冊に渡って書かれた『西郷隆盛』の世界にどっぷりはまり込んだ。
そして本を読み終わる頃の春、これまで住み慣れた浅草を離れ、文京区の根津という街に移り住んだ。
上野公園の西郷像がジョギングコースとなったことを機に、ラストサムライ西郷隆盛について更に知りたくなった、という一年だった。
満開の桜や、美術館、芸大、国立国会図書館(分室)…。
文化に溢れる上野の山。
でもたった150年前、日本を良い国に、と志した多くの人たちが、この山で亡くなった。
そして、最も戦況が激しかった上野山の山王台という地に、西郷の像が立っている。
寛永寺があった元々の場所からは、今では美しい眺めが広がる。
週末には大道芸人が集まり、最近はガラス張りの綺麗なスターバックスもできた。
2014年は、今の平和の基礎を作った先人たちに対して、感謝の気持ちがより一層深まった1年だった。
来年も、引き続き学びを深めていきたいと思う。
2014年も最後の日となりました。
本年も色々な方にお世話になり、学びの機会を頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
同時に、ますます高まる製品の要求に完全に対応できず、不良を発生させた時には大変ご迷惑おかけしましたことを、ここにお詫び申し上げます。
また、協力業者の方々にはたくさん無理を聞いていただき、助かりました。今の木山製作所があるのも、皆様のおかげです。
そして従業員のみんな、お疲れ様でした。いろいろあったけど、とにかく皆元気で1年を終えられたことは、いつものことだけどホッとするよ。
来年も、お客様、協力業者方々、そして従業員と、皆で利益を出しながら、しかも楽しく仕事ができることを楽しみにしています。
それでは、事務所の電気も消して、鍵を閉め、納会(忘年会)会場に向かいます。
ありがとうございました。
先日スキーに行った時、自分の服装の90%がユニクロだった。
これについて、考えてみたい。
思い起こせば、2002年の冬。
新規製品が立ち上がったので、初回ロットの確認で、中国河北省の工場へ向かうことになった。
河北省の冬、そして12年前の中国の工場。
とにかく足元から凍てつく寒さが全身を覆う。
そんな中で、完成した金具の全数検査を行うことは、かなり厳しい作業であることは容易に予想できた。
同行したのは商社の人。
彼の言った言葉が今でもよく覚えている。
『作業着として、ユニクロの上下を持って行きます。帰りは捨てて帰ります。』と。
当時のユニクロの印象は、安かろう悪かろう、から「安いけど、その割にはまぁいい」と、市場を拡大していた。
しかし所詮当時のユニクロ。『捨てて帰ってきます』にさほど違和感はなかった。
あれから12年後の冬。
3000円そこそこで買ったユニクロのズボンは、機能はもちろんだが、シルエットも『なかなかいい感じ』と思った。
『捨てて帰る』服から『この価格でこれなら十分』な服へ。
12年の間で行われた、成長と変化、凄いなぁと思った。
さて、今シーズンもスキー頑張ります!
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