桜の季節がやってきました。
日差しや空気から、季節の変化を感じ出すこの時期。
数学の正解が出るがごとく、ある朝視覚から一気に、春が来たことがわかる日がある。
こんな劇的な季節の訪れを感じる、この瞬間が大好きです。
よく見てみると、開花に差があることがわかります。
右はもうすぐ満開、左はまだ赤ちゃんが芽吹いたところ。
つまり『遅咲き』ですね。
比較的、良い意味での表現に使われますでしょうか。
しかし、自然界においては、そんなカッコいい人生訓が本筋ではない。
「遅咲き」には自然科学的にとって、重要な意味がある。
一気に開花させた時、気候の急変があると、種は全滅の可能性がある。
早く咲いたり、遅く開くことは、種の保存においては重要な戦略の一つだ。
人生においても、若いうちは苦労して遅咲きする人もいれば、早くに咲いてしまったばかりに、晩年苦労する人もいる。
自然科学からすれば、花が咲くとは、『種付けの準備ができた』と言っているだけであって、種の保存の一連の作業の一つでしかない。
花を咲かせることがゴールではない。
遅咲きの桜からそんなことを教わった。
友人が亡くなった。
まだ40代半ば。
私と同じ年。
二人の小さな子供と妻が残った。
何の予兆もなく、体調が急変してから5日後に、お迎えが来てしまった。
彼ら家族と、冬のキャンプに出掛けたのは、先月のこと。
朝日に照らされた銀世界の中で、彼とコーヒーを飲んだことを思い出す。
昨晩、冷たくなった彼に会ってきた。
ただ寝ているだけにしか思えない。
受け入れ方がわからない。
人は必ず死ぬ。
memento mori.
だから、今を精一杯生きることが大切。
しかし、
男、四十にして惑わず。
まさに『始まった』ばかりなのに。
五十にして天命を知る前、とは…。
所沢から帰宅したのは22時。
受け入れ方がわからず、そのまま寝る気になれなかったので、御神酒をいただくこととした。
最初の一杯は、供養のつもりで。
残りの杯は、彼と飲んでいるつもりで。
本年4月より入社が決まっている新入社員=現在学生、と親睦会を行うこととしました。
配属予定部署のリーダー、先輩が数人同席し、いわば『プレ新人歓迎会』、そんな食事会を行いました。
仕事の話も多少は出たものの、学生たちの生活の様子や、趣味の話で、あっという間の三時間でした。
印象的だったのは、20代半ばの先輩たちは比較的『聞き役』に回っていたこと。
先輩ヅラ利かすこともなく、笑顔で話を聞く姿に、『おぉ、君たちも大人になったなぁ』と感心しました。
その雰囲気が嬉しく、私はすっかり飲んでしまい、かなり酔ってます。
写真は、席を立って、帰りの準備をしている場面。
酔っ払って、懇談中の写真を取り合忘れた結果です。
4月からよろしくお願いします。
東日本大震災から、三年の月日が経ちました。
最近では産業支援や自立支援、心のケアーなど、が求められるようになっているようです。
三年前から比べれば、少しずつですが前進していることを、報道で知ることができます。
しかし、家族や仲間を失った方々の深い悲しみは、今をもってしても想像を超えるものでしょう。
更にそのような心中にあっても、この三年間、毎日生きている人々の姿は、それだけで感動を与えてくれます。
私自身、いろいろ感じることはある。
しかし『この一年、私は何をしてきたろう』と考えると、結局何もしてこなかった自分を責めざるをえません。
せめて東北の酒や野菜を、あえて買うことはできたはず。
小さなことでも、効果は小さくても、生きて普通に生活していれば何かできたはずなのに、何もできなかった1年でした。
そんな反省の気持ちを、考えさせてくれる1日になりました。
あらためて、ご冥福をお祈りすると共に、現在進行形でご苦労されている方々に、一日でも早く明るい日が訪れますように、願っております。
台北市内でのこと。
台湾でいつもお世話になっている人と一緒に歩いていた。
彼はお茶屋の前で足を止め、茶葉に見入っている。
『最近は台湾国内でも純台湾製の茶葉はなかなか買えない。ベトナムなどの葉が混じっている』
このような内容の話をしてくれた。
『この店の葉は国産だ。自宅で飲むために買っていく。』
そんなことを聞かされたら、私も買うしかない。
彼は自宅では【高山茶】を飲むという。
『味を楽しむなら烏龍茶。香りを楽しむなら高山茶』と教えてもらった。
ならば、と私もツウぶって、高山茶を自分への土産とした。
昨日の日曜日、午後、自宅にて。
お茶を口に含むと、甘い香りを鼻から感じる。
気分がスーッとリラックス側に吸い込まれていくのがわかる。
これまで散々ハーブティーなど飲んできたが、やっぱりアジア人だなぁ。
左は烏龍茶。
これの開封が楽しみ。
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