アジアンハイウエイ
日本橋(江戸橋インター入口)をスタートとして、福岡からフェリー航路含めて、プサンへ。
中国、ベトナム、カザフスタンなどを通って、トルコ・イスタンブールから更に奥、ブルガリアとの国境をゴールとするこの一本道。
江戸橋はよく利用するので、そのたびに「あぁトルコまで繋がってるのかぁ」と、遠い国に思いをはせていました。
せっかくトルコまで来たんだから、行ってみたなぁ…
ということで、イスタンブールから足を延ばして、ブルガリアとの国境の町、エディルネへ。
WELCOME TURKEY ブルガリアからの車を迎え入れる看板。
この柵の向こう側が、中立地帯。
つまりここがアジアンハイウエイの終着点。
なんとも絵にならない光景だが、アジアの端と端を制し、勝手に感無量(^-^)
折角なので、ブルガリアへ入国。
ブルガリア国旗と共にEUの旗が青空になびいていた。
しかし、さすがは元共産圏。
一気に緊張感のある雰囲気が私たちを包んだ。
いい歳してバックパッカーみたいなことして、国境警備の人にたくさん迷惑かけることとなってしまった。
ごめんなさい🙇
でも、アジアは制しました\(^o^)/
初めて、トルコ・イスタンブールへ行った。
1500年に渡って、アジアとヨーロッパの交易の中心として、今もなお主役であり続ける街。
コンスタンティノープルの時代から、ギリシャ系、イタリア系、アラブ系、ペルシャ系、コーカサス地方、クルド人、もちろんオスマントルコ…。
様々な人種がその文化を育んでいる。
そして、その歴史に根ざした多様性から導かれた今の生活を作るのは、平均年齢28歳、1300万人というすさまじいパワー。
その力強さに圧倒された1週間でした。
日本では、ここ数年外国人の観光客、生活者が増え、異文化とか多様性という言葉を使い始めている。
イスタンブールの空気を感じた後では、日本でその言葉を使うのが、違和感を感じる。
日産自動車の元会長は「多様性からイノベーションが生まれ、同質性から安心を得る」と言った。
世界は広い。
毎日松戸のパソコンの前で、頭を抱えているだけでは、ダメだ。
高雄空港に初めて降り立った。
台湾の工作機械メーカーを見学するために。
機能、性能は、日本製と変わらない。
だからこそ『我が社に合った設備って、なんだろう』と新たに考えさせられる機会となった。
基本的な構造は30年の単位で変わっていない成熟したこの業界。
世界中の機械メーカー同士、ベンチマーキングによる熾烈な販売競争が行われている。
それは価格競争に陥るギリギリのところを、今の好景気がなんとか支えているだけかもしれない。
という事は、ユーザーとしての私たちは、機械メーカーの努力以上に『強み』を明確にしなければならないのかもしれない。
2泊3日で滞在時間は37時間。
強行スケジュールではあったけど、考えさせられる旅になった。
初めてベトナムを訪れたのは、1996年。
ホーチミンの街はシクロとバイクでいつも大渋滞。
視界に入る車は3台程度。
おばちゃんたちは、担いできた天秤を器用に分解し、道端でフォーを作る。
この美味しさを求め、ホテルの朝食は取らなかった。
ギラギラの太陽の下、真白なアオザイ姿の女子高生が、自転車に乗って集団で通学する風景は、本当に美しいモノでした。
あれから22年。
シクロが走れるエリアは観光地のみとなり、フォーの人気店はネットで紹介され、アオザイ姿はホテルのレセプションだけとなった。
それでも、変わらないのは、道端に置かれたプラスティックのイスに座って飲むベトナムコーヒー。
その独特の味わいは、22年前の一人旅を思い出させてくれました。
交差点では、もの凄い量の車とバイクが行き交い、常にクラクションが鳴り続けている。
それを眺めながら、ボーっと座っていると、自分がいる場所が現実じゃないような、映画を見ているような、そんな状態になる。
それって…
もしかしたら、轟音と共に打ち寄せる高波を、浜辺に座って、ただ見ている時の気持ちと同じかもしれない。
スゴイ轟音の中なのに、リラックスしている状態。
もしかしたら、それが私をベトナムへ惹きつけている理由なのかもしれない。
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