千葉県では2日土曜日にも余震がありました。
東京の友人宅に居た私も、揺れを感じました。
突然の揺れを感じた時、とにかく走って外に出ます。
事務所は、土足禁止なので、室内履きのまま外へ逃げます。
揺れが収まると、事務所に戻りますが「その時の為に」と女子社員が、玄関に雑巾を準備してくれています。
室内履きの靴底を拭いてから、事務所に戻る為です。
こんな状態いつまで続くやら・・・。
早く雑巾が片付く日が来て欲しいです。
エネルギーの節約が、だいぶ板についてきました。
ここで、本領発揮するのは、わが愛車『プリウス』。
ガンバって、電気で走ってみる。
黄色い矢印は、電気で走っている状態を表す。
ガソリンを使うと、エンジンからオレンジ色の矢印が出る。
なので、今は100%電気で走っている状態。
会社から自宅まで、20kmの国道を頑張って走れば、
燃費はなんと、23.9KM/L
記録更新に挑みたいと思います。
大阪に行ってきました。
夜の街は、いつもと変らないネオン街です。
関東・東北とはヘルツが違い、電気を共有出来ないので、当たり前なのですが、なんだか少し違和感を感じました。
モノは普通にありますし、地震の話題も少なかった。
当たり前のことですが、距離が離れるとやはり違うのだなぁ、と実感しました。
17年前の阪神淡路大震災の時、近年の新潟地震の時、私自信、結局何もできなかったことを思い出します。
でもこの気持ちを忘れず、これからは何か出来そうです。
帰りの新幹線から美しい富士山が、50ヘルツの東京方面へ迎え入れてくれました。
支援物資である『水』が九州から届きました。
この後も送っていただいているそうで、全て合わせて650リッターも送っていただくことになりました。
本当にありがとうございます。
小さい子供が居る家中心に各人に40リッター以上配分できました。
また、配分担当者の気遣いで、会社に出入している工具屋の営業マン(1才、4才の子持ち)にも配布できたそう。
みんなで潤えて、なんだか嬉しい限りです。
ありがとうございました。
地震から、2週間が経ちました。
松戸ではでは比較的生活のリズムが落ち着いてきたものの、今朝もかなり大きな余震があり、2週間経っても、緊張の糸はなかなか緩まないのが現実です。
この状況の中、東京、千葉では新たな問題が浮上しています。
ついに飲水から放射性物質が検出されました。
微量ではあるものの、乳児、小さい子供、妊婦は念のため飲料を控えるように政府から通達がありました。
そして、当然のごとく店からは水が消えました。
弊社従業員のうち5人の家庭に、2歳以下の子供がいます。
放射性物質は成長期の子供の甲状腺に蓄積されるとのこと。
5人中には乳飲み子もいることから、他人事とは思えない。
そこで思い出したのは、地震発生当初から「何かあったら支援するから言ってください」と連絡をくれていた、九州のお客様。
本当に頼っていいものか、所長に半信半疑メールを入れたのは、午前11時。
そしてすでに11時20分には、営業所の約30人全員に「木山製作所の為に水を購入してきてください」とのメール配信。
そして、なんと午後2時過ぎには所長から「161.5リットルの水を本日パレットで送ります」との連絡をいただきました。
なんと感謝して良いやら。
このお心遣いに本当に本当に感謝です。
そして行動力もお見事。
本当にありがとうございます。
お気持ちをありがたく頂戴し、幼い子供を優先にして、従業員に配布させていただきたいと思います。
節電に努める。
余分な電気は点けない。
できる限り厚着して寒さを凌ぐ。
当たり前のことだけれど、なかなかできなかった。
でも被災地の人たちの生活を見れば、皆が自分たちの贅沢さを感じている。
そして、だれかれともなく自主的に電気を消す。
そしてこの生活を、特段不便だとも面倒だとも、多くの人は思わない。
夜の街ではネオンが消え、店内も心なしか暗い。
お店にはモノが少ないし、電車の本数も少ない。
自動販売機の台数も制限されている。
ところで、この状態で何か問題あるでしょうか。
自分が変れば不便は感じない。
と言うわけで、
≪これでいいのだ!≫
復旧が進めば、また贅沢な暮らしが普通になるのかもしれない。
だけれども「これでいいのだ!」と少しの間でも感じることができたのだから、今後も自信を持って様々な変化を乗り越えられる気がします。
私も昨年、やっとバカボンのパパと同じ年になりました。
天才一家とは「自分が変ること」なのかも。
少しは彼の哲学に近づけた気がします。
お知らせ
弊社が所在する千葉県松戸市松飛台地区では、計画停電の対象外です。
従って、生産及び通信には支障はございません。
弊社は東京電力のホームページによれば、現時点でも第1グループとして表記されております。しかしながら、市のホームページによりますと、松戸市においては第1及び第5グループは、計画停電の対象外であることが発表されています。
これにより、工場設備、通信機器、その他業務に関して影響はございません。
しかしながら、現在においても、従業員の生活圏内における停電、公共交通機関の運行制限、ガソリンが購入できず通勤に支障をきたしている、等により、完全な生産状態まで至っておりません。
この件につきまして、ご不明、ご心配な点があれば、遠慮なく担当者までお問い合わせください。
よろしくお願い申し上げます。
東京スカイツリーは最終目標である634mに到達しました。
少しでも明るいニュースとなって、被災地に届いてくれれば、と思います。
車に乗っていると、いつも一瞬だけ見える、高さの表示。
今日は珍しく表示が見えるところで信号が赤になったので、撮影することができました。
お休みをいただいています。
午前中は日本橋の本屋に出かけたが、車も人も少ない様子。
お正月の静けさとも違うような、経験したことない静かな街の雰囲気でした。
午後からは、近所の公園に出かけました。
さすがに遠出する人は少ないのでしょう、公園は多くの家族連れでにぎわっていました。
夕方、食材を買いに、出かけました。
浅草の町は、節電で暗い。
しかし「これで良いのでは?」と思います。
普段、意味も無く、街は明るすぎるのかもしれません。
いつもより暗い、雷門の近くで、白人の観光客にホテルまでの道のりを尋ねられました。彼らには、地震、被災地、原発、そして暗い浅草はどのように感じているのだろう、と思いました。
自宅から徒歩10分圏内に、5件のスーパーマーケットがあります。
どこの店にも「モヤシ」が売っていない!
なんと計画停電の影響で、生育を制限され、出荷が少ないとのことです。
少しずつ、街は動き出している様子です。
昨晩の退社時刻は、予定よりも遅くなった。
余震の心配の中、急激に増えた受注の入力がなかなか終わらない事務員さんを、一人で置いて帰るわけに行かず、やらなければならないことまで終わらせて、退社した。
すでに復興特需に向けた経済活動は始まっている。
「運賃をいくら掛けてでも良いから、大至急送ってほしい」「特需を見込んで発注を増やした」…。
これが現実。
週の後半からはこのような仕事へのが増えている。
前述の事務員さんも、そのおかげで帰る時間が遅くなった。
帰り際、工場を歩いていたら、写真のような光景を目にした。
テーブルの上に置いてある、旋盤用M軸工具に付いた古い油を落としているようだ。
操業時間を短くした分、このようにちょっとした改善が進むことを期待したい。
希望を持って、前向きに毎日を過ごすことが、大切なことだと思う。
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