サッカー日本代表 イラク戦を見てきました。
ゴール裏の応援席。
大きな国旗の中にも入りました。
試合の方は、
1-1で迎えた後半の延長時間。
スタジアム全体が「ホームで引き分けかぁ…」という空気に包まれる中、
ラストプレーで決めた、勝ち越しの一発!
その瞬間、6万人の歓喜が大爆発!!
周りの知らない人たちと、肩を組み、喜びを分かち合う。
秋の夜風の中、最高に気持ち良い時間を過ごさせてもらいました。
さて、相手はイラク。
ドーハの悲劇世代の私としては、この劇的な幕切れに声を枯らさずにはいられませんでした。
そして何より「最後まで絶対に諦めない」、そういう心意気を20代の若者世代から改めて学んだ良い時間でした。
年齢を重ねると、妥協というか、ある程度は流されることの技術と言いますか、つまり世渡りがうまくなります。
でもやっぱり心の奥底では「諦めない」という闘志を欠いてはいけないなぁ…そんなことを思いました。
話は前後しますが、大きな国旗がゴール裏応援席を埋め、それが回収れた後は、国家斉唱となります。
「君が代」
腹に力入れて大声で歌ったら、気持ちが良かった。
子供のころから、国家の流れる環境は周りにあったけれど、どちらかと言えば静粛に聞くような印象だった。
でも時代は変わった。
仲間たちと、力強く国家を歌うことで、選手にそして国に敬意を表す。
そして自分の国が尊敬できれば、相手国も尊敬し思いやることができる。
それが今のグローバリゼーションであり、求められている国際感覚だと思う。
だから私は、英語という『手段を学ぶ』より、自国を愛するという『心を育てる』ことの方が何百倍も大事だと思っている。
そんなことを20代の若者たちから改めて学ばせてもって、本当に感謝している。
日本代表、ありがとう!
熊本では、今もなお多くの方々が避難生活を強いられている。
そんな昨今、高速道路を走っていると、「災害派遣」の幕を帯びた自衛隊の車とすれ違う。
先日、その自衛隊の車を追い越そうとしたら、
『松戸』って書いてあった!
会社の近所には、航空自衛隊の駐屯地がある。
そこから来てるんだぁ。
がんばれ~ 応援してます!
そんな気持ちで、届かないエールを送った。
さて、その幕に書かれた「需品教導隊」なる部隊。
恥ずかしながら、何も知らなかったので、ネットで調べて見た。
【需品】⇒各種後方支援活動を任務としている。災害派遣では給食・入浴支援などで活躍。
【教導】⇒陸上自衛隊の職種学校における教育支援を任務とする部隊
(By Wiki)
後方支援の教育を行う部隊という事でしょうか。
後方支援と言えば「補給」と言う言葉を思い浮かべる。
インパールやガダルカナルでの悲惨な結末は、お粗末な補給計画も一つの要因と言える。
1日1食でも食事ができるのと、1週間も飲まず食わずでは、戦闘能力も数倍違うだろう。
その意味では、戦術的に大変大きな役割を持った部隊だと思う。
食糧供給だけでなく、調べてみると面白いもので、『野外選択セット』などの変わった設備を保有している。
まぁ、洗濯機をくくりつけてあるだけ、と言えばそれまでだが…。
この部隊に所属すると、家事が上手になるらしい。
今回も、食事や、風呂などの支援に行かれるのでしょう。
ご存知の方も多いと思いますが、自衛隊は災害現場で炊き出しを行いますが、それを食べません。
彼らは、炊き出しを片付けた後、冷えたレトルト食品や缶詰などを、車の中で食べます。
差し入れを受け取ることはできず、風呂にもほとんど入らないそうです。
自衛隊については、政治的にいろいろ言われているのが最近の実情です。
しかし、彼らはただ「日本を守りたい、助けたい」という思いを行動に表しているだけだし、
間違いなく、被災地の方々は助かっているはず。
そんな彼らに、私は純粋に感謝の気持ちを抱きます。
工学院大学レーシングチームに、部品を提供させてもらいました。
http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~wwa1032/
そして先日、シェイクダウンという事で、報告をいただきました。
Youtubeで、走行シーンを見ただけですが、かなりの迫力ですな。
学生が何かに打ち込んでいる姿は、とてもイイものです。
希望・未来、そんなことが自然とイメージできます。
だからこそ、とにかく事故に気を付けて!
一生懸命何かに打ち込んで、倒れるまで仲間と遊んで…それでイイから、とにかく怪我なく普通に家に帰ってね。
そんな親心(年寄目線)でシェイクダウンの報告を聞きました。
大震災から5年目の3月11日を迎えました。
会社がある千葉県松戸市、そして自宅がある東京都文京区は、当然のことながら100%影響のない環境です。
従って、恥ずかしながら、当時の記憶が風化しつつあるのが、正直なところです。
思い返そうと、このブログの5年前の記事を読み返しました。
当時の事が、鮮明によみがえります。
地震発生瞬間の恐怖、時間を追うごとに入ってくる現実とは思えない情報。
余震が続く中、従業員と一緒に支援物資をかき集めて被災地へ送ったこと。
なんとも表現できないストレスを常に抱えていたこと。
水から放射能が検出された日、九州のお客さんが仕事を中断し街中の水を買って、600L以上を送っていただき、幼児を持つ従業員に配れたこと。
ガソリンが買えず、電車は土日ダイヤのまま、計画停電地域に住んでいた従業員はトイレさえ使えないという環境だったこと。
節電で夜の街は薄暗く、仕事中は誰もが暖房を付けようなんて考えもしなかったこと…。
おかげさまで直接的に家族・親戚を失った、という従業員はいませんでした。
しかし発生当時の1~2か月は、なんとも表現できないストレスを常に抱えながら毎日を過ごしていたことを思い出します。
毎日普通に過ごせること。
これ以上の幸せは、やはり思いつかない。
少なからず、直接震災を体験した者として、少なくとも当事者としての想いは風化させないようにしよう。
そして日常に感謝し、困っている人の助けになろう。
そんな5年目の今日の気持ちです。
木山製作所のスタッフブログです
モノ作り集団「K製作所」の活動も随時更新中!
デザフェス等イベント出展情報もこちら